私は生涯この日を忘れることはないでしょう。この日約30年間共に生きてきた兄を自死でなくしました。2018年1月、30歳の誕生日まで約2か月前の出来事です。 その日は平日でいつもの通り私は職場で仕事をしておりました。当時私の仕事は、窓口でお客様とやり取りをする業務であり、携帯電話を確認したのはお昼休みに入ってからです。電話の履歴を確認すると、朝から父親からの鬼の電話履歴が大量に残っておりました。私は一人暮らしをしており、父との連絡は専らメールで済ませており、連絡もほとんど行っていなかったことから、緊急で連絡してきたことを察しました。急いで折り返し電話をかけるとすぐに繋がりました。
俺「何かあったの?」
父「兄貴が自殺した」
俺「はあー(大きい声)」
新卒の頃より7年勤めている職場で一番大きな声驚いた声が出た瞬間でした。
父「すぐに準備をして実家に帰ってきてほしい。ショックで事故でも起こされたら困るからゆっくりでいいから。」
とにかく、一刻も早く実家に帰ろうと、昼休憩で喫煙所にいる係長を捕まえて兄が亡くなったことを報告した。係長は、すぐに実家に帰ること。葬式等の休暇の手続きは全てやって置くことを話した。この時、係長からは兄の死因を尋ねられたが、自殺した以外のことはわからないためその事を伝えた。
同僚には、家庭の事情でしばらく出勤出来ないことを伝え、職場を後にした。
一人暮らしの部屋に戻り、当面の着替えと喪服をまとめ、実家に急いで帰った。
私の実家は、一人暮らししている部屋から、約3時間の場所にある。到着した時にはすでに夕方になっていた。正月に帰っていたため実家に帰るのは1か月も経っていなかったが12畳ほどの和室の客間で憔悴した父が、葬儀屋と打ち合わせをしており、正月に帰った時の実家とは思えないほど空気感は随分と変わっていた。
もう一つ変わっていたのは、客間にある仏壇の隣に布団が敷いてあり男性が横になっている姿があった。それは兄の遺体であった。
俺「ただいま」
父「お帰り。電話で伝えた通り、兄が亡くなった。兄に線香を上げてほしい。」
俺「死因は?」
父「自分の車で練炭を焚いていた。練炭自殺だ。」
父の話をまとめるとその後の検死結果より、亡くなったのは昨日の深夜であり、朝方父が新聞を取りに車の前を通ったところを発見したとのこと。練炭の数が合わないことから、何度か練習を重ねた上で実行に移しているではないかと午前中に来た警察から指摘されたとのことであった。練炭自殺での遺体は通常皮膚が鮮やかなピンク色になるそうであるが、兄の皮膚は私が記憶しているものと変わりなく、直ぐにでも目を覚まし起き上がってきそうでした。この時の私には死んでいることが実感できませんでした。
午前中警察による捜査が終わった後、葬式業者に連絡したようでした。この日を境に私は、自死遺族になりました。自死遺族になった日です。